高松高等裁判所 平成2年(行コ)2号 判決 1994年7月28日
控訴人
地方公務員災害補償基金高知県支部長橋本大二郎
右訴訟代理人弁護士
下元敏晴
亡有田昭五郎訴訟承継人
被控訴人
有田安美
右訴訟代理人弁護士
土田嘉平
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一申立て
一 控訴人
1 被控訴人の受継申立てを却下する。
2(一) 原判決を取り消す。
(二) 被控訴人の請求を棄却する。
(三) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文第一項と同旨
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 有田昭五郎(以下「昭五郎」という。)は、高知県高岡郡越知町立越知中学校(通学困難な生徒のための寄宿舎が設置されていた。)の教諭として勤務中の昭和五一年一一月一八日午前一一時三〇分ころ、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血(以下「本件疾病」ということがある。)を発症した。昭五郎は、地方公務員災害補償法に基づいて、地方公務員災害補償基金高知県支部に対し、本件疾病は公務上の災害であるとの認定を求めたところ、控訴人は、昭和五三年一二月一六日付で、本件疾病は公務外の災害であると認定する処分(以下「本件処分」という。)をした。昭五郎の地方公務員災害補償基金高知県支部審査会に対する審査請求は、昭和五九年八月三一日付で棄却裁決がなされた。昭五郎の地方公務員災害補償基金審査会に対する再審査請求は、昭和六〇年四月三日付で棄却裁決がなされ、その裁決書の謄本は同年五月一五日に昭五郎に送達された。
2 昭五郎(昭和五年一二月一二日生まれ)は、昭和三一年一月から高知県の中学校教師として勤務し、昭和四九年四月越知中学校に赴任し、社会科及び理科の授業を担当し、学級担任及び学年主任として生徒指導に当ったほか、寄宿舎の舎監として宿直等の勤務に携わった。昭五郎の勤務時間は、別表1(略)のとおりであり、舎監の勤務内容は、別表2(略)のとおりであった。昭五郎の舎監としての宿直勤務は、昭和四九年度及び昭和五〇年度は週一回であったが、昭和五一年度から週二回になっていたところ、同年九月より舎監長の坂本教頭が長期病気休暇をとった松浦一般教頭の職務を代行することになったことから昭五郎が事実上舎監長となり、週三回の宿直をするようになった(もっとも、昭五郎の担当授業は、同月から社会科のみ一〇時間となった。)。昭五郎の同年九月ないし一一月の宿直日は、別表6(略)のとおり(九月一〇回、一〇月一三回、一一月八回)であった。
3 昭五郎は、本件疾病発症日の二、三日前の夜間、生徒の家庭訪問をし、前日の一七日には、午前中の勤務に引き続き、午後一時から越知町公民館で開かれた越知町青少年健全育成会議の議長を勤め、その会議終了後午後五時から舎監勤務につき、午後九時ころ発熱した寮生一名をタクシーで病院に連れて行って診療を受けさせ、午後一〇時三〇分ころ寄宿舎に戻ったところ、他の寮生五、六名も風邪を引いていたので時々部屋を見回り、午前三時ころ就寝し、本件疾病発症日には、平常どおり勤務についた。
4 昭五郎は、平成四年三月九日に死亡した。被控訴人は、昭五郎の妻で、同人と生計を同じくしていた。
二 争点
1 行政処分性
(一) 被控訴人の主張
地方公務員災害補償基金が行う公務上外認定は、行政処分に当たる。
(二) 控訴人の主張
地方公務員災害補償法の公務災害補償請求権は、一定の要件があれば当然に発生するものであって、地方公務員災害補償基金が行う認定は、当該公務員に対する災害補償を簡易迅速に解決するための措置にすぎず、右請求権の存否に何ら法律上の影響を及ぼすものではないから、行政処分性はない。したがって、本訴訟は、不適法として却下を免れない。
2 訴訟承継の可否
(一) 被控訴人の主張
被控訴人は、地方公務員災害補償法四四条所定の配偶者として、本件訴訟の承継を申し立てる。
(二) 控訴人の主張
地方公務員災害補償法の公務災害補償請求権は一身専属権であり、相続の対象とはなり得ない。このことを前提に、同法四四条は、固有の権利として受給権者を定めたものである。したがって、本件訴訟は、昭五郎の死亡により当然終了し、被控訴人は、別途右法条により、控訴人に対して補償の請求をするほかない。
3 公務起因性
(一) 被控訴人の主張
本件疾病(くも膜下出血)は、昭五郎が有していた脳動脈瘤が破裂して発症したものであるところ、基礎疾患が原因で新たな疾病が発症した場合、公務の遂行が基礎疾患を自然的経過を超えて憎(ママ)悪させて新疾病を発症させるなど、それが基礎疾患と共働原因となって新疾病発症の結果を招いたと認められるときには、特段の事情がない限り、右新疾病発症は公務起因性があるというべきである。しかるところ、前記一の事実その他本件に現れた事実関係の下においては、日常の過激な公務の遂行が昭五郎の有していた脳動脈瘤を自然的経過を超えて憎(ママ)悪させて破裂する事態に至らせ、本件疾病を発症させたと認めるのを相当とする。
(二) 控訴人の主張
脳動脈瘤は、脳血管の先天的な異常により発生するものであり、何らの誘因なしに破裂することが多いことは、医学上周知のことである。したがって、本疾患が公務上の災害と認められるためには、<1>当該公務員の発症前に特に過激又は異常な職務による過度の精神的・肉体的負担が存在していたこと、しかも、<2>それらの事態が、その性質及び程度において、医学上当該疾病発生の原因とするに足りるものであり、かつ、それらの事態と当該疾病発生までの時間的間隔が医学上妥当なものであることを要する(なお、発症前日までの職務による精神的・肉体的疲労の蓄積が認められる場合は、当該疲労を発症直前又は発症当日における事態の程度を増大する付加的要素として考慮すべきものと考える。)。しかるに、前記一の事実その他本件に現れた事実関係の下では、昭五郎には、本件疾病発症前に特に過激又は異常な職務による過度の精神的・肉体的負担が存在していたとも、発症前日までの職務による疲労の蓄積があったとも認められない。したがって、本件疾病は、公務に起因するものとはいえない。
第三当裁判所の判断
一 争点1(行政処分性)について
国家公務員の場合には、国家公務員災害補償法の規定に照らし、公務災害補償請求権は、一定の要件が備われば当然に発生するもので、実施機関による認定は、当該公務員に対する災害補償を簡易迅速に解決するための措置にすぎず、右請求権の存否に何ら法律上の影響を及ぼすものではないと解され、関係当事者に対し実施機関に災害が公務上のものであるとの認定を求める申請権を与えたと解されるような規定も存しないから、公務上外認定に行政処分性はないというべきである。しかしながら、地方公務員の場合には、地方公務員災害補償法二五条二項、四五条一項、五一条、五六条等の規定に照らして、地方公務員災害補償基金が行う認定は行政処分に当たるものと解するのを相当とする。
二 争点2(訴訟承継の可否)について
地方公務員災害補償法の公務災害補償請求権は、一身専属権である他の社会保障上の請求権と異なり、一身専属権ではなく、相続承継の対象となり得るものと解される(もっとも、同法四四条一項は、「補償を受ける権利を有する者が死亡した場合において、その死亡した者に支給すべき補償でまだその者に支給しなかったものがあるときは、その者の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹であって、その者の死亡の当時その者と生計を同じくしていたもの……に、これを支給する。」と規定し、同条二項は、「前項の規定による補償を受けるべき者の順位は、同項に規定する順序……とする。」と規定するが、右規定が、地方公務員災害補償法の公務災害補償請求権を一身専属権として相続性を否定し、右規定該当者に固有の権利として補償請求権を付与したものとは解されない。)。したがって、本件取消訴訟は、昭五郎の死亡によって終了することなく、右規定に該当する補償請求権の承継人である控訴人において、本件訴訟の承継をすることができるものというべきである。
三 争点3(公務起因性)について
1 前記第二の一の争いのない事実に、証拠(<証拠略>)を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 昭五郎が昭和四九年四月赴任した越知中学校には、通学困難な生徒のために鉄筋三階建の寄宿舎が設置されていた。それまで、昭五郎は、寄宿舎のある学校に勤務したことはなかった。同校で、昭五郎は、社会科及び理科の授業を担当し、学級担任及び学年主任として生徒指導に当ったほか、寄宿舎の舎監として宿直等の勤務に携わった。須崎市内に自宅を有した昭五郎は、午前五時半ころに起床し六時ころ家を出てバイクで最寄りの土讃線多ノ郷駅に行き、同駅から佐川駅まで列車に乗り、同駅に置いていた別のバイクで越知中学校まで通勤していた。同校の教職員の勤務時間は、別表1(略)のとおりであった。
(二) 昭和五一年度の越知中学校は、普通学級各学年三クラス(三三九名)と養護学級一クラス(一名)の生徒構成で、教職員として、校長一名、教頭二名、教諭一九名、養護教諭一名、事務職員一名、用務員一名、本校給食調理員三名、寮母一名、寄宿舎調理員二名が配置されていた。昭和五一年度の各教諭の週受持授業時間は、別表4(略)のとおりであり、昭五郎は、一六時間(社会科及び理科)の授業を担当した。
(三) 寄宿舎(昭和五一年度の寮生、一年生一六名、二年生一六名、三年生一〇名)の管理運営は、校長、教頭二名、寄宿舎当直舎監になる教諭の内一名、生徒指導主事で構成する舎監団が当り、教頭の内一名が舎監長になった。寮生は、学校が休みの前の日の授業終了後親元に帰り、休み明けの朝寄宿舎に戻ったが、休校日に試合がある運動部の寮生は親元に帰らず、その場合宿直が必要であった。寄宿舎当直舎監の勤務内容は、別表2(略)のとおりであり、宿直明けの後平常の勤務についた。舎監勤務を嫌う教諭が多く、校長は、年度初めの職員会議において、舎監となることを自発的に申し出る少数の教諭を舎監にしていた。
(四) 昭五郎は、赴任した昭和四九年度から舎監になった。昭五郎の舎監としての宿直勤務は、昭和四九年度及び昭和五〇年度は週一回であったが、昭和五一年度から別表3(略)のとおり週二回になっていた ところ、同年九月より舎監長の坂本教頭が長期病気休暇をとった松浦一般教頭の職務を代行することになったことから、昭五郎が事実上舎監長となり、週三回の宿直をするようになった。それに伴い、昭五郎の担当授業は、同月から社会科一〇時間だけに減った。昭五郎の同年九月ないし一一月の宿直日は、別表6(略)(なお、昭和五一年五月ないし一一月の各人別の宿直回数は、別表5(略))のとおりであった。
なお、昭五郎は、元来生徒指導に熱意を有し、越知中学校で問題となっていた生徒の非行防止に中心となって取り組んだ。舎監勤務についても、昭五郎は、生徒指導の場として積極的に取り組み、宿直でない日も早朝出勤して寄宿舎に立ち寄り、寮生と一緒に体操や掃除をして登校することが多かった。舎監長の坂本教頭は、昭五郎の身を案じ、昭五郎に無理をしないよう注意していた。
(五) 昭五郎は、本件疾病発症日の二、三日前の夜間、坂本教頭の指示により問題行動のあった生徒の家庭訪問をし、前日の一七日には、午前中の勤務に引き続き、午後一時から四時ころまでの間越知町公民館で開かれた越知町青少年健全育成会議(町長、町議会議員、一般町民が参加)に、坂本教頭外一名の教諭とともに出席し議長を勤め、その会議終了後午後五時から寄宿舎当直舎監勤務につき、午後九時ころには発熱した寮生一名をタクシーで病院に連れて行って診察を受けさせ、午後一〇時三〇分ころ寄宿舎に戻り、他の寮生五、六名も風邪を引いていたので、時々寮生の居室を見回り、午前三時ころ就寝した。
(六) 本件疾病発症日、昭五郎は、午前六時すぎころ起床し、寮生と一緒に掃除等をしたが、気分がすぐれず、午前八時二〇分ころ登校し、平常勤務につき、午前一一時ころ気分が悪くなって学校の宿直室で休んでいたところ、午前一一時三〇分ころ意識不明になり、校医の山崎正親医師の往診を受け、くも膜下出血と診断された。その診察時の昭五郎の血圧は、二三〇/一二〇であった。昭五郎は、同日は宿直室で看護を受け、翌一九日隣町の佐川町立高北病院に入院し、同月二七日から高知市内の近森病院に転院して手術を受けたが、同病院で脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血と診断された。
(七) 健康診断等で、昭五郎は、高血圧といわれたことはなかった。昭五郎は、昭和五一年一一月八日ころ、勤務中疲労感を覚え、山崎正親医師の診療所に赴いたが、混んでいたため受診しないで帰ったことがあった。昭五郎は、脳動脈瘤の疾患を有することを前記(六)の近森病院の診断まで知らなかった。
2 証拠(<証拠・人証略>)を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 脳動脈瘤の発生原因については、ほとんどが先天性と考えられている。後天的には、細菌性、外傷性等の脳動脈瘤が存在する。
(二) 脳動脈瘤破裂の原因は、単一ではなく、最も考えられるのは、<1>脳動脈瘤自体の加齢(動脈瘤壁が極限にまで薄く弱くなる。)と、<2>高血圧の関与である。<1>の場合は、平常の血圧範囲内でのわずかな血圧の変動でも破裂の原因になり得る。<2>については、異常高血圧はもちろん誘因となり得るが、加えて、血圧の変動が危険因子になる。
3 (本件疾病発症に関する医学的所見)
(一) 森惟明医師の所見
証拠(<証拠・人証略>)によれば、森惟明(高知医科大学脳神経外科教授)は、<1>ストレスは、脳動脈瘤破裂の誘因となると考えられるが、この誘因となるのは、急激な血圧上昇をもたらすストレスであり、持続的ストレス(過労や睡眠不足など)は、脳動脈瘤破裂の直接的誘因とはなり得ないと考えられる、<2>昭五郎に脳動脈瘤破裂の誘因となった急激な血圧上昇をもたらすストレスがあったものと認め難い、以上<1><2>の理由から、本件疾病は公務上といえない、と判断していることが認められる。
(二) 吉中丈志医師の所見
証拠(<証拠・人証略>)によれば、吉中丈志(京都民医連中央病院循環器内科医師)は、<1>脳動脈瘤破裂と、それに至る動脈瘤の成長過程(破裂準備状態)には、血圧等の血行力学的因子が重要である、<2>くも膜下出血発症の三ないし六か月前にさかのぼってストレスの存在する例が多い、<3>ストレスは、血圧を介して脳動脈瘤の破裂準備状態を形成し、かつ、破裂の引き金となり得る、<4>昭五郎の発症前の業務は、発症前日においても、その一週間前においても、明らかに過重負荷であり、精神的・肉体的ストレスであったと認め得る、<5>脳動脈瘤破裂の引き金となる急激な血圧の上昇をもたらすような事態が直前に認め得ないことをもって、公務起因性を否定することはできない、以上の<1>ないし<5>の理由から、本件疾病は公務上といえる、と判断していることが認められる。
(三) 高倉公明医師の所見
当審における鑑定嘱託の結果によれば、高倉公明(東京大学医学部脳神経外科教授)は、<1>昭五郎には、高血圧の既往はなく、発症直前に高血圧であったとの確認もない(発症直後の高血圧は、出血の影響による反応性の高血圧と考えるのが妥当である。)から、身体的・精神的過労により、血行状態や血圧が不安定になり脳動脈瘤内をうずまく血流の強さにも変動が起こり、それが脳動脈瘤破裂の原因になったと考えられる、<2>昭五郎は、本件疾病発症当時、舎監業務等による身体的・精神的過労がかなりの極限に達していたと推察することができる、<3>昭五郎の勤務状態は、臨床医学的・労働衛生学的見地から過重であったと考えられ、脳動脈瘤破裂の原因となり得る身体的生物環境(自立神経系の異常と、それに派生する具体的異常も含む。)の不安定さをもたらしたと推察できる、<4>脳動脈瘤の発生が過労によるものとは考えられず、過労が続いて脳動脈瘤の増大が早くなるという証拠はないが、脳動脈瘤の破裂が過労により早まったであろうことは十分に考えられる、と判断していることが認められる。
4 ところで、地方公務員災害補償法の補償の対象となる「公務上の災害(負傷、疾病、障害又は死亡をいう。)」は、公務と相当因果関係をもって生じた災害をいう。右の相当因果関係があるというためには、公務が最も有力な原因であることを要するものではなく、災害の発生につき他に競合する原因があっても、公務が相対的に有力な原因となって当該災害が発生したと認められる関係があれば足りる。そして、公務が相対的に有力な原因であったかどうかは、経験則に照らして、当該公務が当該災害を生じさせる危険があったと認められるかどうかによって判断すべきである。しかるところ、脳出血のような中枢神経及び循環器系の疾病は、素因(脳動静脈奇形、脳動脈瘤等)ないし基礎疾病(動脈硬化、高血圧等)があった場合、公務に起因しない原因のみによっても発症することが多いので、素因ないし基礎疾病を自然的経過を超えて急激に著しく憎(ママ)悪させ得ると医学経験則上認められる負荷が災害発生前にあったことを、公務起因性肯定の判断基準とする考え方があり、控訴人の主張は、これに依るものである。しかし、日常の職務内容自体が質的又は量的に過激なものであったときには、職務内容の特段の変化がないまま発病に至ったとしても、職務が疾病の有力な原因である場合のあり得ることは、医学的にも否定し得ないところであろう。したがって、右のような考え方は、相当因果関係の認定基準としては狭きに失する。そこで、公務上の災害発生直前の職務内容が日常の職務に比べて質的又は量的に過激ではなかったような場合であっても、当該公務の遂行が基礎疾患と共働原因となって災害が発生したと認められるようなときには、特段の事情がない限り、公務起因性を肯定するのが相当である。
以下これを、前記第二の一及び右認定1ないし3の事実関係に基づいて検討する。
(一) 昭五郎は、昭和四九年四月越知中学校に赴任時四三歳で、一八年の教員歴があったところ、寄宿舎の設置された学校での勤務は初めてであった者であるが、元来生徒指導に熱意を有し、越知中学校で赴任時問題となっていた生徒の非行防止に中心となって取り組むのみならず、自発的に申し出る者の少なかった舎監勤務(同年度及び翌五〇年度は週一回)も積極的に担当して寮生の指導に当たり、宿直でない日も早朝出勤して寄宿舎に立ち寄り、寮生と一緒に体操や掃除をして登校することが多く、舎監長の坂本教頭は、昭五郎の身を案じ、昭五郎に無理をしないよう注意していた事実に、舎監としての宿直勤務が、昭和五一年度からは週二回になっていたところ、同年九月より坂本教頭が長期病気休暇をとった松浦一般教頭の職務を代行することになったことから、昭五郎が事実上の舎監長として週三回の宿直をするようになった事実を併せ考えると、通常の教諭と比べ、同中学校に赴任後の昭五郎の勤務状態は、その日常の職務内容自体が質的又は量的にかなり過重なものであったところ、昭和五一年九月からは更に過重なものとなったと認めるのが相当である。もっとも、昭五郎は、事実上の舎監長となったのに伴い、担当授業は六時間分減ったが、この程度の受持ち授業の減少が上記のような負担の増大を帳消しにするものとはとうてい考えられないから、授業時間数減少の事実は、右認定判断の妨げにはならない。
(二) 以上の状況及び前示1(五)・(六)の本件疾病発症前の昭五郎の質的又は量的に過激といえる勤務状態に、前記3(三)の高倉公明医師の医学的所見を総合すると、本件疾病発症日には、昭五郎の精神的・肉体的過労が極限に近い状態に達し、それにより一過性の血圧上昇又は血行状態の不安定な変動が起こり、それが脳動脈瘤破裂の原因になったもの、すなわち、本件については、昭五郎の前示公務の遂行が脳動脈瘤の基礎疾患と共働原因となってくも膜下出血が発症したものと推認するのが相当である。これに反する前記3(一)<2>の森惟明医師の所見は、これを採用することができず、他に右推認を妨げるに足りる証拠はない。
そうすると、本件疾病は公務起因性があるというべきである。
四 結論
よって、本件処分を取り消した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上野利隆 裁判官 渡邊貢 裁判官 田中観一郎)